シンガポール基本情報
国名 | シンガポール共和国 (Republic of Singapore) |
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人口 | 約500万人 |
言語 | 国語はマレー語。公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語 ※実際には、英語、マレー語、中国語が混ざっていて、シングリッシュと言われる言葉を話す。 知っておくと便利なシングリッシュ:
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宗教 | 仏教、回教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教 など |
通貨 | シンガポールドル(Sドル)(S$1=約85円)※2015年1月1日現在 |
気候 | 赤道より北へ僅か1度に位置するシンガポールの天候は、1年を通して温暖な熱帯性気候です。 1日の平均温度は26度前後。また湿度も高く、日中は歩いているだけで汗が出てきます。 また12月は雨季となり雨が多い為、肌寒く感じることもあります。 |
服装 | 1年を通して半袖で過ごす事が出来ます。 しかし、建物(ホテルやデパートなど)や乗り物はクーラーが強いので、何か羽織るものがあると便利です。 |
時差 | 日本よりマイナス1時間 (日本が12時の時はシンガポールは11時) |
広さ | 699平方キロメートル(東京23区(約700平方キロメートル)とほぼ同じ) |
ビザ | 観光目的の入国の場合、シンガポールに到着すると30日間までの滞在許可がもらえます。(ビザ必要なし) ただし入国時、妊娠6ヵ月以上の妊婦は査証が必要。パスポートに6ヶ月以上の有効期限が必要。 |
知っておくと便利なシンガポールの法律をご紹介
ゴミのポイ捨て
シンガポールでは公衆の衛生、環境に関して厳しく規制を行う法律が定められています。
ゴミ等の不要物を公共の場に捨てる、唾などを公共の場所に吐き捨てるなどの行為には罰金などの科せられる事があるのでご注意下さい。
緑豊かなシンガポール
シンガポールでは、島内の緑を保護する為に、公園・庭園・植物に関する法律が定められています。
むやみに木を折ったり、花を取ったりしないようにご注意下さい。
チューイングガム
チューイングガムは医薬品であると認定された場合を除き、国内への持込は一切禁止されています。
違法に持ち込むと多額の罰金、禁固などが科されることがあります。
蚊
シンガポールでは、ハエや蚊についての法律が定めれらています。
いかなる場所に於いても、ハエもしくは蚊の発生となる環境は生活妨害として罰せられます。
そのため、鉢植えの下には水を溜めないなど、駅などのポスターなどで推奨されています。
日本からシンガポールへのアクセス
日本からシンガポールへはJAL(日本航空)など、飛行機で直行便が出ています。
所要時間は約7時間。
シンガポールの歴史 1.伝説の時代
- マジャパイト王国(13~16C)に服属する国々の中に、シンガポールの古名「トゥマセ」の記述あり 「漁業」と「海賊行為」と「貿易」で成り立っていた。
- 14世紀末、マラッカ王国の建設者パラメスワラが、マジャパイトの攻撃から逃れ、5年間過ごした「獅子の町」シンガプーラ
- その後は「見捨てられた小さな漁村」あるいは「悪名高き海賊のすみか」として、約400年間、歴史の舞台に登場することはなかった
シンガポールの歴史 2.植民地シンガポールに建設
ポルトガル
- 1511年 ポルトガルの艦隊がマラッカに到着。マラッカ王国滅亡 ポルトガルは香料貿易を中心とする東洋貿易を独占
オランダ
- 1602年 東インド会社設立
- 1619年 ジャカルタ占領、バタヴィアと名づけ総督府を置く
- 1641年 ポルトガルからマラッカを奪い、東洋貿易を独占
※1648年 オランダ独立(北部7州がネーデルラント連邦共和国の独立を宣言。スペインからの独立)
イギリス
- 1600年 東インド会社創設
- カルカッタ(インド)を拠点とするが、至るところでオランダの妨害に
- 1682年 西スマトラのベンクーレンに商館設立
※18~19世紀に飲茶の習慣から中国貿易が始まる(中国・インド・イギリスの三角貿易)
これによりマラッカ海峡の重要性高まる
シンガポールの歴史 3.ラッフルズの上陸と英国領としての発展
- 1819年1月29日 英国軍人ラッフルズがシンガポール島に上陸
上陸当時、「120人のマレー人と30人の中国人が住んでいた」(ラッフルズの記録による) - 1824年 人口1万683人。1836年には中国人がマレー人を上回る
- ラッフルズによる新しい都市の建設/英国法に基づく法令整備/エスニック・グループ別の居住区
- 1824年 シンガポールをすべて東インド会社に委譲 → のちにイギリス直轄(1858)
- 1824年 英蘭条約 インド・マレー半島・シンガポールはイギリス領、東インド諸島はオランダ領として分割される
シンガポールの歴史 4.英国領としての発展(不干渉政策の放棄と植民地の形成)
- 1832年 シンガポールが海峡植民地(ペナン、マラッカ、シンガポール)の首都となる
- 1874年 パンコール条約(駐在官制度の導入。英国の積極的な介入開始)
→ 爆発的な人口増大。中国人労働者「苦力(クーリー)」や日本人娼婦「からゆきさん」が登場
シンガポールの歴史 5.日本の侵略・統治時代
- 1941年12月8日 マレー半島コタバルへ日本軍上陸(真珠湾攻撃よりも先に開戦)
- 1942年2月15日 シンガポール陥落(イギリス軍の敗退)
「昭南島」として3年6ヶ月の軍政 中国に肩入れしたと判断されたシンガポール在住の中国系移民(華人)に対して、日本軍の厳しい「検証」が行なわれる
シンガポールの歴史 6.英国による再統治と独立への道
- 1945年9月5日 イギリスの軍政下に
- 1946 年10月 英国が「マラヤ連合」構想発表 4連合州、5非連合州、マラッカ、ペナンを、全て一つの政治組織「マラヤ連合」にまとめ、各州のスルタンの権限を奪い、総督の下で中央集権的直轄統治を実施。シンガポールは「マラヤ連合」から切り離し、英国の直轄植民地にするという構想
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- 1948 年2月1日 「マラヤ連邦」誕生 マレー半島で、「マラヤ連合」構想への反対運動が起き、「マラヤ連邦」成立 華人の多い(78%)シンガポールは「マラヤ連邦」には加わらず、直轄植民地のまま残された 理由1)戦略的に重要な海軍基地シンガポールを、英国は手放したくなかった 理由2)マラヤのマレー人指導者たちが、シンガポール受け入れを渋った
- 1955年 部分自治開始(デビッド・マーシャル首相)
- 1959年 完全自治に移行(リー・クワンユー首相)
- 1961年 マラヤ連邦、「マレーシア連邦案」を提唱 マラヤ、シンガポール、イギリス領ボルネオを統合する考え
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- 1963 年 シンガポール、マレーシア連邦の一員に しかし、シンガポールとマレーシア連邦との経済的、政治的な差はあまりにも大きく、ことにマレー人優先政策をとるマレーシア政府と、各エスニック・グループの平等政策をとるシンガポール政府との対立は克服できなかった。
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- 1965年8月9日 シンガポール独立